神戸家庭裁判所尼崎支部 昭和44年(家)339号 審判 1969年9月01日
申立人 高橋信重(仮名)
相手方 高橋広美(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
申立人は、昭和四二年三月六日当庁で成立した調停(当庁昭和四一年(家イ)第四七八号夫婦関係調整調停事件ー以下これを第一次調停事件という)により定められた。申立人が相手方に支払うべき婚姻費用分担額一ヵ月金一万五、〇〇〇円を変更し、これを相当額減額する旨の調停を求め、昭和四三年一〇月九日調停の申立をなし、調停が試みられたが、昭和四四年四月七日の期日不調となり本件審判手続に移行した。
申立人の主張する申立理由の要旨は、前記のとおり調停で婚姻費用分担額を定めたが、その後申立人の生計が苦しいので、さきに定めた額を減額してほしい、というのである。
申立人並びに相手方に対する審問の結果、本件記録編綴の各書類、及び当庁昭和四一年(家イ)第四七八号夫婦関係調整調停申立事件、昭和四二年(家イ)第三七四号夫婦関係調整調停申立事件の各一件記録によれば以下の事実が認められる。
第一分担額が調停により決定するまでの経過、紛争の実情、
申立人と相手方は昭和三三年四月に挙式し、同年七月一日届出により婚姻した夫婦であつて、長女侑子(昭和三三年一二月二七日生)長男一朗(昭和三五年七月一七日生)二男敬次(昭和三七年一〇月二七日生)がある。
申立人は、結婚当時から現在に至るまで○○工業株式会社の工員として働き、相手方は主婦として家事に従事し、相手方がその親より結婚仕度の一つとして買つて貰つた尼崎市○○町に所在する相手方所有の木造瓦葺平家建(床面積三八、一四平方メートル)の家屋で世帯をもち、二男敬次が出生した当時即ち昭和三七年一〇月頃までは夫婦喧嘩が全くなかつた訳ではないが、一応平穏な家庭生活を営んでいたが、その後次第に夫婦仲が悪くなり何かにつけて争が頻発して相互の不信感がつのり、昭和四一年一二月頃にはその極に達した。即ち、申立人において子供達に対する愛情は深いが金銭的に無計画で、相手方に十分説明しない金の使途があつたりして家計に対する責任を十分に果さず、一方相手方においても申立人を非難叱責することが性急すぎる面があり、協調性・相手を理解しようとする努力にやや欠ける面があつて、意見の対立が生じて協調できず、口論となると時には申立人において暴力を振うようなこともあつたところ、かねて、長女侑子が三歳の頃より心臓に異常がある旨医師より診断をうけており、昭和四一年春再び病院で診察をうけた際にも、入院して精密検査を受けるようにとの指導を受けたが、京都大学附属病院に入院して精密検査を受けさせようと主張する申立人と、時期尚早であると主張する相手方が対立し、夫婦仲はますます悪化し、意見の一致を見ないまま、申立人は昭和四一年一二月一日長女侑子を同病院に検査のため入院させてしまつた。その検査の結果、左心房中隔欠損症(心臓に穴が開いている)であることが明らかとなり手術の必要がある旨診断を受けたが、またもや、申立人は直ちに手術を受けさせようと言い、相手方は手術を急がなくてもよいと言つて対立し、夫婦仲は極度に悪化するに至つた。
家庭ないしは夫婦仲が以上のような状況にあつた同年一二月二八日相手方は申立人を相手どり第一次調停事件を申立て、同事件は調査官による調査を経て昭和四二年二月二日を第一回として同年三月六日の成立まで計三回の期日が開かれた。しかし、相手方は、その調停係属中である昭和四二年一月四日子供三名を残したまま家を出て現住居の実母橋本みねのもとに身を寄せてしまつた。
したがつて、調停は申立人と相手方が別居した状況のもとで進められ、双方とも相手に非があると主張し、申立人は自分が子供三名を引取り離婚若しくは別居することを、相手方は申立人が子供三名を引取つたうえ当時の住居を出て別居することを主張し、和合は容易にならず、結局、別紙第一記載のとおりの内容の調停が成立した。
申立人は、調停成立当時すでに前記精密検査のための費用として借りた一〇万円程度の借金が有り、長女侑子に手術を受けさせれば、その費用は一部県から補助を受けられるがなお自己負担の金額が、病院などで予め調査したところに基づいて、場合によつては五六万円位になることを知つており、これを借金によつて捻出しなければならないことも予測したうえで、長女侑子は全て自己の負担において手術を受けさせる旨調停の席上明言し、また、調停条項のとおり他に転居するとなれば、新しい住居を借り求めなくてはならず、これには相当額の敷金や家賃を支払わなければならなくなることも当然のこととして予知したうえで別紙第一記載のとおりの合意をしたものであり、婚姻費用支払開始時について、調停成立後約三ヵ月後になつたのは長女侑子の手術費用の支出を考えて、余猶が置かれたものである。
第二第一次調停成立後の実情
調停成立後、その調停条項にしたがつて申立人は昭和四二年三月一五日頃長女侑子、長男一朗を引きとつて共に家を出て他に借家して転居し、更に同年四月そこから現住居に転居し現在に至つているが、同年三月一六日長女侑子を手術を受けさせるべく京都大学附属病院に入院させたが、同女において感冒にかかつたため、手術を一時中止していつたん退院させ、同年四月二一日再度同病院に入院させて手術を受けさせ、約一ヵ月後に退院し、その後は経過が良く、現在では元気に通学をしている。
申立人は、長女侑子の二度にわたる入院にともない、入院治療費の一部については県から補助を受けたが、結局、四〇万円前後の出費をなし、また、住居を借りるについて敷金などが要つたが、貯えがなかつたため、第一次調停成立後同年五月までの間に自己の勤務先、知人、身内の者達から合計七三万四、〇〇〇円位の借金をし、更に、その後現在までの間にも生活費などにあてるため合計二九万四、〇〇〇円の借金をし、結局、以上の借金と調停成立前の一〇万円の借金を合計すると、借金額は一一二万八、〇〇〇円となる。しかしその返済については自己の勤務先から借りた八万四、〇〇〇円と自己の所属する労働組合より借りた五万円については分割して毎月の給料より控除されているが、他のものについては強い返済要求がないこともあつて全く弁済していない。
申立人の収入は、昭和四三年八月から昭和四四年三月まで現実に支払を受けた合計額(上記借金の分割弁済金及び税金、社会保険料、組合費などを控除されたもの)は四二万円で、一ヵ月平均約五万二、〇〇〇円となるが、その控除されたもののうち借金の弁済として控除された額は同期間において合計六万九、二五七円となるので実質的な手取給料額合計は四八万九、二五七円で、一ヵ月平均約六万一、〇〇〇円である。また、昭和四三年中に各月の給料の他にボーナスとして合計一九万九、三六〇円の支払を受けており、税金を控除しても、少くとも一八万円は現実に支払われたものと考えられるから、これを月平均すると約一万三、〇〇〇円になり、結局、申立人は昭和四三年中及び本年において一ヵ月少くとも約七万四、〇〇〇円の収入は現実に得ているし、将来においても特別の事情のないかぎり同程度の収入を得るであろう。一方支出の面では日常生計費の他、一か月家賃として一万三、〇〇〇円の支払をしている。
相手方は、第一次調停成立直後前記親もとからいつたん元の住居に帰宅し、二男敬次を引きとつて申立人と別居し、しばらくの間そこで生活していたが、昭和四二年五月申立人には無断で自己が所有する居住家屋を一二〇万円で売却し、二男敬次と共に再び現住居の親もとへ身を寄せ、母が娘(相手方の妹)夫婦と共に営んでいる小さい食堂を手伝つて働き、給料の支払はうけないが、食費、住居費の支払はせず、ときたま小づかいを貰う程度で親達と生活を共にしている。
別居後申立人と相手方は、共に同居への努力をしないばかりか、申立人は調停によつて支払うことになつた金員を任意には一回も履行せず、これを取りに赴いた相手方と口論の末殴り合いの喧嘩をするなど、一向に改善されず、遂に申立人は昭和四二年九月一三日相手方に対し離婚を主張して調停を申立てた(当庁昭和四二年(家イ)第三七四号事件)。しかし、相手方が離婚を承諾せず、現状のままの別居を主張したため同年一〇月五日不調となつた。
申立人は、第一次調停により定つた金員を生活苦を理由に一回も支払わないため、相手方は申立人に対し給料の差押をなし、昭和四三年一〇月から本年五月までの間に合計一四万九、〇〇〇円を取立て、将来とも同様の状態が続くことが予想されるが、相手方は本件においても第一次調停で定められた金額の減額については強く反対している。このように相手方の態度を硬化せしめている原因の一つとして、申立人は、昭和四三年四月よりバーに勤務する林一美(当四二歳)を子供達の世話をして貰うためと称して、同一家屋内で起居を共にしており、これを相手方は、同女と申立人の間には不倫な関係があると確信し申立人に対して一層強い不信感をもつに至つていることが挙げられる。
(以上認定に基づく裁判所の判断)
一 婚姻費用の分担義務が協義(調停も含む)又は審判によつて定められた場合、事情の変更によるその協議又は審判の取消・変更の審判をなし得るか否かについては、婚姻費用の分担義務が継続的法律関係であり、しかも夫婦間の、また、これらの者と一般社会、経済との相関関係において定められるものであることを考えれば、たとえ規定が無くとも取消・変更の審判はなしうると解すべく、強いて規定を挙げれば、民法八八〇条の準用と言つてもよい。
協議又は審判を取消、変更し得るのは、協議又は審判のあつた後に、その基準された事情に変更が生じ、従来の協議又は審判の内容が実情に適合せず不公平なものになつた場合にかぎられる。即ち、協議についていえば、協議の際当事者が予見し得ない事情の変更が後に至つて生じ、協議が実情に合わなくなつた場合にのみその協議の変更をなし得るものであつて、協議に際し当事者においてすでに判明していた事情に変更がなかつたり、予見し得た事情とその後に現実化した事情が合致したような場合には、たとえ後日その協議を悔んでも、これの変更を主張しえないのである。
事情の変更の有無をこのように解すると、本件においては、第一調停当時とその後を比較するに、先ず申立人側の経済状態であるが、申立人の収入にはさ程の変化はなく(むしろ減少したとは一般の労働賃金状況の推移からして考えられない)。新しい住居を求めるための出費も借家をしなければならなくなることは判明していたことであり、そのために敷金を支払わねばならないこと、その額が三〇万円であることも取引の現状からして当然予想し得たことであり、その他自己の収入に上記のとおり予想外の減収がない以上生計費に充当しうる額もおのずから予見でき、申立人側における現在の経済状態がこの予見の範囲を出るものとは倒底考えられず、更に申立人はその収入からすれば多額の借金をしているといえるけれども、これとて調停当時すでに長女侑子を入院手術させれば、ことによれば五六万円もの支出をしなければならなくなり、そのときは殆んど借金をして費用を捻出することになるであろうことを予測しながら、相手方に協力を求めず自分のみの力で処理する決心をしていたもので、その結果として借金が出来たとしても、何ら予測外の事情には該らず、また、借金のうち長女侑子の入院に起因する以外の分については、その使途・借金をせざるを得なくなつた原因が必ずしも明らかでなく、いずれにしてもこれをもつて事情の変更があるということはできず、結局、申立人の経済的な面では事情の変更と認められるものはない。
つぎに相手方が、調停成立後すぐに自己所有の家屋を他へ売却して、母親のもとへ二男敬次を連れて身を寄せた点であるが、これは、第一次調停において将来夫婦が同居を期し努力することを約したその趣旨に著しく反するものである。即ち、経済的にそれ程裕福でない者にとつて唯一の資産でもあり、生活の安定という点からして極めて重要な役割を果す住居を失くしてしまうことは、たとえ売却代金を保存するとしても現在の住宅事情からすれば健全な家庭を築いていくうえにおいて精神的、経済的に大きなマイナスとなると考えられるからである。また、第一次調停は相手方がその家屋で生活をしてゆくことを予想して成立したものであることは明らかであるから、相手方の住居の売却、母親のもとへの転居は調停の基準とはなつていなかつたと言え、これは一応事情の変更に該るものと解すべきである。
相手方は母親のもとに転居し、母親達の営む食堂の手伝をなし、住居費及び二男敬次を含めた食費の負担をしていない点は、形式的には事情の変更に該るものと考えるが、相手方が自己所有の家屋を売却せず予定どおりそこに居住していたとしても住居費の支出はしないのであり、また、調停当時申立人は離婚をも考えた程であるからそう短時日のうちに同居し得るとも予測していなかつたものと推測され、そうであれば、相手方において何らかの方法で収入を得ることのあることも予測し得たはずであり、これと相手方が前記のとおり現金収入がないかわりに食費の負担を免れこれに要する支出を要しないことは、経済的に見れば実質的に大差がなく、この点は変更された事情とはいえない。
結局、第一次調停後変更した事情と言えるのは、前記のとおり、相手方が家屋を約一二〇万円で売却し母親のもとへ転居したという点であり、その他に事情の変更に該ると認められるようなものはない。
二 つぎに、上述の事情の変更により、第一次調停で定められた申立人の婚姻費用支払義務を変更すべきか否かについて考える。
この点は先に述べたとおり第一次調停の趣旨、目的に反する行為ではあるが、同調停で申立人において離婚をも一応は考えていた程で、同居することが容易には実現しない状況にあつたことを考えると、相手方が申立人との将来の生活に不安を抱き、生活の安定を考えるの余り上記のような行為に出たものと推察され、この相手方の行為を強く責めることも妥当でなく、これをもつて申立人に婚姻費用分担の義務が消滅したとは言えない。また、相手方が家屋の売却により約一二〇万円の収入を一時に得たことは双方の経済状態に変化を来し、これは第一次調停において基準とされた事情に変更が生じたものと一応言えるとしても申立人は調停成立後一回たりとも調停で定まつた金員を任意に支払わないような不誠実な態度に終始したばかりでなく、相手方への支払を長期にわたつて(昭和四三年九月まで)遅滞しながら借金の弁済についてはその間給料より控除されるものを除いて全く弁済せず、いま仮りに相手方への支払額を減じても果してそれが借金の弁済に充てられるかどうか極めて不確実で、かくては折角相手方において減額を忍受しても効果のないこととなりかねず、更に申立人と林一美なる女性の関係についても、女性の年令、職業及び申立人と同一家屋で起居寝食を共にしていることからみて、二人の間に不倫な関係があると疑われても当然であつて(ちなみに当裁判所においてその関係を明らかにするため申立人を通じて同女に任意の出頭を求めたがこれに応じなかつた)これが相手方の心情を強く刺激しており、加えて、申立人は相手方に離婚を求めて第二調停の申立をしたことやその他紛争の実情からすると申立人と相手方が将来離婚若しくは事実上の離婚状態に至る可能性が多分に予想され、若しこのようになつたとき相手方にとつてこの一二〇万円は生活を支える上で貴重な資産となる(そのとき申立人において相手方の生活を十分に保障できることは余り期待できない)ものでいま婚姻費用支払額を減額して、この財産を減らすようなことになつては相手方に酷であることなど合せ考えると、相手方に一二〇万円の収入があつたこと、母親のもとへ身を寄せたことから直ちに分担額を減額するのは適当でない。
三 ちなみに、現時点で婚姻費用分担の額を算出してみるとつぎのとおりである。
算定については、別紙第二の労働科学研究所編「総合消費単位表」を使用するいわゆる労研方式によるのが適当と思料するのでその方式による。
消費単位
申立人側 申立人は三七歳の工員であるので中等作業に従事する六〇歳未満の男子として一〇五に、長女侑子は一〇歳(小学五年生)であるから六〇、長男一朗は九歳(小学三年生)であるから五五、に各該る。
相手方側、相手方は三八歳で食堂の手伝をしているので主婦と大差ないから八〇、二男敬次は六歳(小学一年生)であるから五五に各該当する。
平均月収
申立人は前述のとおり、七万四、〇〇〇円である。
相手方は、現金収入はないが、前述のとおり食堂の手伝をするかわりに自分と二男敬次の食費の支出を免れているので一応食費に相当する額の収入があるものとみてよく、実際の支出額を算出するだけの資料はないから統計的資料に基くほかなく、兵庫県企画部統計課編「消費・物価調査年報、昭和四三年」三二頁によれば兵庫県内阪神地区の昭和四三年一二月における食料費は、世帯人員数三・九八人で三万五、九五八円であるから二人分は約一万八、〇〇〇円となる。しかし、相手方が食堂の手伝をするといつても、その食堂は元来相手方の母及び妹夫婦が働くだけで営業をしていたもので相手方の労働力が是非共必要な訳ではなくたまたま同居しているために手伝つているにすぎない程度のことであると推認されるので、相手方が食費を負担しないのは母親や妹夫婦の恩恵的な面が多分にあると考えられるので前記金額全部を相手方の労働の対価的性質をもつものとするのは妥当でなく、労働の代償とみられるものはせいぜい月一万〇、〇〇〇円程度であろう。したがつて、相手方の一ヵ月の平均収入は、一万円とする。
必要職業費
申立人については一ヵ月五、〇〇〇円、相手方については一ヵ月一、〇〇〇円とする。
算定の基礎となる純収入
前記平均月収から必要職業費を控除した額、即ち、申立人は六万九、〇〇〇円、相手方は九、〇〇〇円である。
計算(一、〇〇〇円未満切捨)
申立人側の生活費
=(69,000円+9,000円)×(105+60+55(申立人側の消費単位合計))/(105+60+55+80+55(双方の側の消費単位合計))=48,000円
相手方側の生活費
=(69,000円+9,000円)×((80+55)(相手方側の消費単位合計))/(355(双方の側の消費単位合計))=29,000円
申立人の分担額
29,000円-9,000円=20,000円
以上の計算によれば、申立人の分担すべき額は一応一ヵ月二万円ということになるが、申立人において一ヵ月一万三、〇〇〇円づつの家賃を支払つていることを更に考慮に入れると、第一次調停で定められた一ヵ月一万五、〇〇〇円の額はおおむね妥当なものであり、その妥当性は現在なお維持されているものというべく、これを変更しなければならない程不公平なものとはいえない。
以上述べたとおり、結局、第一次調停で定められた分担額を変更してこれを減額するだけの理由も、その必要性も認められず、申立人は同調停で定められた額を相手方に支払うべきものである。
よつて、申立人の本件申立は理由がないからこれを却下することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 岸本昌巳)